2014年度TOP画像
2014年12月15日更新
NO.143(2014.11.15)
岐阜市の茜部神社。2014年8月22日撮影。岐阜駅の南2kmほどのところに鎮座する式内社。茜部郷などのバス停があり、近くには茜部小学校もある。少し離れて厚見中学があり、荘園研究者には楽しい環境である。この神社も八幡社で祭神は応神天皇、神功皇后、武内宿祢。由緒記によれば、東大寺領茜部荘の守護神として、830年頃宇佐八幡宮から勧請されたという。美濃を象徴する伊奈波神社が丘陵上に鎮座するのに対してこちらは平坦地に祀られていて、水田開発との関係が注目される。
2014年11月15日更新
NO.142(2014.10.15)
大垣市荻神社。2014年8月23日撮影。足利健亮氏の調査によって、永仁三年六月日大井荘実検馬上取帳案に示された一条二里廿三坪の〈大木神〉に比定された。『大垣市埋蔵文化財調査報告書第5集 大垣市遺跡詳細分布調査報告書解説編』(大垣市教育委員会、1997年)参照。この神社を基点とすることにより、大井荘の条里制が解明された。大垣駅の北北東750m程のところで、閑静な住宅地となっているが、かつては水田景観が広がっていた。水門川という用水路が付近を通っており、これがJR東海道線の南に位置する大垣城の外堀に達している。
2014年10月15日更新
NO.141(2014.9.15)
大垣八幡神社。2014年8月23日撮影。この神社は美濃国大井荘に勧請された東大寺八幡宮の系譜を引く荘園鎮守であると考えられている。永仁3年(1295)に作成された大井荘の検注帳には、三条一里十七坪に大宮の鎮座するところとして1町7反の敷地が存在した。現在の大垣城の外堀の内、西側に大宮の地があり、かつてはここに鎮座したものであった。慶安元年(1648)に藩主戸田氏鉄が現在地に移したものである。いまでも大垣市民の心の拠り所となっていて、5月11日には11台の山車が出て盛大な祭りが行われる。
2014年9月15日更新
NO.140(2014.8.15)
岡山城の復元天守。2013年1月5日撮影。岡山城は1573年(天正元)に宇喜多直家が入城し、本格的な城下町の形成に着手した。直家の子秀家は豊臣秀吉の厚遇を得て、備前のほか、備中国高梁川以東と美作国を併せて57万石を超える大領主となった。1597年(慶長2)に壮麗な天守が完成。関ヶ原の戦いにおいて宇喜多秀家は西軍の主力として福島正則等と戦い、敗れて八丈島に流された。天守はその後も偉容を誇ったが、1945年に空襲を受け焼失した。1966年に宇喜多秀家の時代をイメージして復元。
2014年8月15日更新
NO.139(2014.7.15)
新見市上市の木戸集落。2011年4月23日撮影。『中世荘園の環境・構造と地域社会―備中国新見荘をひらく―』のカバー表紙写真である。この表紙には2枚の文書写真を同時に載せている。1つは(文明元年)9月23日備中国新見荘三職連署注進状(東寺百合文書サ函339)で「おおかねをつき土一き」の文字が目に飛び込んでくる.この時期の新見荘を象徴する文書である。これに対して下段には正中二年備中国新見荘地頭方東方実検取帳(東寺百合文書ク函12)が載せられている。非常に地味ながら、表紙カバーの一番左には合点とともに「木戸」の文字を読むことができる.約700年前の集落が現在に伝えられているのである。この貴重な文書は京都府立総合資料館の「東寺百合文書WEB」として今春完全公開された。本書がその恩恵を受けた第一号である。
2014年7月15日更新
NO.138(2014.6.15)
市ヶ原廃寺の塔心礎。静岡県三島市。2014年5月31日撮影。本年度大学院歓迎旅行は三島市と伊豆の国市で行われた。一日目、三嶋大社に参拝して、宝物館にて文書を熟覧させていただき、市内を巡見。今回、印象に残ったのはこの市ヶ原廃寺の塔心礎である。現在は祐泉寺という臨済宗寺院の境内に保存されている。壮大な薬師寺式の伽藍配置を持ったこの寺は三嶋大社と東海道を挟んで並び立っていたという。西海道では宇佐八幡宮の境内にやはり薬師寺式の伽藍配置を有する弥勒寺が建てられていた。諸国国分寺が建立される一段階前に構想された律令体制を誇示する寺院である。
2014年6月15日更新
NO.137(2014.5.15)
耶馬溪羅漢寺(中津市)本堂。2014年3月30日撮影。熔結凝灰岩の耶馬に多くの洞窟があり、石仏が安置されている。無漏洞窟には日本で最古の五百羅漢があり、2014年に重要文化財となる。南北朝期に円龕昭覚が十六羅漢を近くの古羅漢と呼ばれる場所に安置したのが淵源とされる。国東半島においては同様な洞窟に天台宗の痕跡が見られるのだが、この耶馬溪にあっては禅宗によって自然の洞窟が宗教的施設に変貌していった。日本の禅宗も誠に多様である。
2014年5月15日更新
NO.136(2014.4.15)
日本史コースの学位授与式。2014年3月25日撮影。これで本年度文学部日本史コース卒業生のほぼ全員。明るい笑顔が目立つ。本年度担当した卒論指導の学生は14人(男子3人、女子11人)。景気が上向いたことにより希望者(11人)は全員就職が決まった。世界的に見ても大学生の就職が難しいこの時期に慶賀すべきことであろう。2人が進学。1人は進学も就職も関心がなかったが、勉強が大好きで、文学部副総代。いまさら話題にするほどのことでもないが、女子の活躍が目立つ。
2014年4月15日更新
NO.135(2014.3.15)
根来寺多宝大塔。2013年11月9日撮影。大学院ゼミの研修旅行。通常は1泊2日だが今回は2泊3日でおこなった。昼に和歌山駅に集合した後、和歌山県立博物館にて文書閲覧と企画展?田荘の展示見学の後、岩出市の根来寺を詳しく見学してかつらぎ町の美島荘に宿泊。かつて鞆淵荘調査の際に常宿としたところ。翌日は丹生津比売神社を参拝。解体修理中の本殿を宮司丹生晃市氏の案内により見学。高野山に向かい大門を経て、中の橋会館2階のはちようにて昼食。奥の院を見学した後、金剛三昧院へ。霊宝館を見学して正智院に宿泊。翌日は南口から高野山を下り、阿弖河荘の巡見。二澤久男氏の案内で、雨錫寺、清水八幡神社、あらぎ島、吉祥寺の阿弥陀堂や宝物館を見学。和歌山駅にて解散。誠に充実した研修旅行であった。
2014年3月15日更新
NO.134(2014.2.15)
新見市にて宗金から上市を眺める。2011年4月23日撮影。中国縦貫道が通り、高梁川とクロスして西に向かっている。備中国新見荘の中心的な地区で、高梁川の近くに地頭政所跡などがある。2010年から開始した科研基盤研究(B)「備中国新見荘における総合的復原研究《は2014年3月をもって終了する。現在、研究成果をまとめつつあるところで、一冊目の海老澤衷・高橋敏子編『中世荘園の環境・構造と地域社会*備中国新見荘を開く*』(勉誠出版)は本年5月に刊行される。また、現地調査の内容を中心とした『中世荘園の空間と水利』は本年10月に刊行の予定である。
2014年2月15日更新
NO.133(2014.1.15)
広西チワン族自治区龍勝県大寨村。1994年にカメラマン李亜石氏がこの村を取材。当時はこの村に通じる自動車道路はなかった。棚田の景観写真が雑誌『中国撮影』に掲載されて多くの人が知るところとなった。村落内の輸送手段は馬が中心となっている。現在は梯田風景吊勝区となっており、中国政府が特別に保護している。水田に映える朝日が美しく、多くの人が訪れる。
2014年1月15日更新
NO.132(2013.12.15)
南開大学主楼。2013年11月3日撮影。中国天津市にある南開大学の南門から入ったところに出身者である周恩来の大きな像があり、卒業式などの記念写真を撮影する場となっている。その背景となる南開大学主楼がまさに中心的な校舎。キャンパス内に日本研究院の施設があり、日本学研究においても中国屈指の大学である。ここから天津港までは50㎞以上離れているが、周辺は堀と池に囲まれていて水の都といった雰囲気がある。
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