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2015年12月15日更新
NO.155(2015.11.15)
 福井県大野市牛ヶ原。醍醐寺領越前国牛原莊の故地。2015年9月3日撮影。イェ-ル大学教授朝河貫一がかつて院政期に成立した荘園として注目。西洋中世の荘園と比べて、領主直営地の規模の小ささを指摘している。眼下にみえる丁(ようろ)地区は鎌倉期の史料に見える丁郷で現在では圃場整備され、きわめて大きな水田区画となっている。この地にも領主直営地は存在したはずであり、実りの秋を迎えて水田が黄金色に変わろうとしている。地元の小学校では醍醐寺との縁を大事にして現在でも収穫したコメで餅を作り、醍醐寺に奉納している。早稲田大学総合人文科学研究センター(人文研)では,12月5日小野記念講堂にてシンポジウム「朝河貫一と日本中世研究の現在」を開催する。詳しくは人文研ホームページを参照のこと。


2015年11月15日更新
NO.154(2015.10.15)
 岡山 後楽園の水辺にある八橋。2015年10月11日撮影。古文書学会大会の見学会が隣接する岡山県立博物館で行われたので、少々早く出かけて後楽園を見学。一角にこの八橋がある。『伊勢物語』にある八橋とカキツバタの意匠は、日本の伝統文化の中で大きな位置を占めた。ニューヨークのメトロポリタン美術館にある尾形光琳の八橋図屏風は見るものを圧倒する壮大な構図となっている。文学・絵画・庭園に共通する意匠となった八橋とカキツバタは確かに日本の風土から生まれ育ったといえる。次回はカキツバタの咲いている時に訪れたいものである。


2015年10月15日更新
NO.153(2015.9.15)
 「科研:既存荘園村落情報」のキックオフシンポジウム。早稲田大学戸山キャンパス33号館6階の第11会議室。2015年9月9日撮影。科研の正式テーマは「既存荘園村落情報のデジタル・アーカイブ化と現在のIT環境下における研究方法の確立」(研究代表者・海老澤)である。従来の荘園村落に関する情報は、1978年の「圃場整備事業に対する宣言」などのいくつかの画期を経て蓄積されてはいるが、わずかな体系性があるだけで、限りなく広がる星雲のような状態となっている。これを束ね直してデジタル化することと、様々なツールが発達した現代の荘園調査の方法的モデルを作ることが今回の科研の目的である。後者のフィールドとして美濃国大井莊と茜部莊を選び、シンポジウムのテーマを「既存荘園村落情報に関するクラスターモデルの構築に向けて」とした。報告をしているのは田島公氏で、テーマは「古代美濃国荘園公領関係史料の再検討と条里・莊域復原研究の現状―安八郡東大寺領大井莊成立の歴史的背景を中心に―」。台風18号が上陸したという知らせを受けながらのシンポジウムではあったが、航空機利用の4名の関係者も無事到着し、活発な議論が交わされた。


2015年9月15日更新
NO.152(2015.8.15)
 熊谷市上中条にある天台宗の常光院。2015年7月26日撮影。寺伝によれば、鎌倉幕府御家人中条家長の居館が寺院になったという。利根川に近く、長井に隣接する。長井は斉藤実盛の所領とされるところであり、熊谷直実も含めて、平家物語に登場する武士がこの地域に集まっていた。東国武士の一つのルーツといえるところである。茨城大学教授高橋修氏と熊谷市史事務局の蛭間健悟氏のご案内によりこの地を巡見することができた。荒川流域の伏流水による湧水が点在し、武蔵武士団を象徴する見事な緑泥片岩の板碑があり、圧倒される。一日の見学の後、熊谷駅ビルのビアガーデンで情報交換会を行った。真っ赤な夕日が秩父山系に沈み、ビールの味は最高だった。


2015年8月15日更新
NO.151(2015.7.15)
 墨俣からみた岐阜城。2015年6月6日撮影。現在は大垣市に所属するこの地に、いわゆる墨俣一夜城が復元されていて、資料館となっている。確かに岐阜城(稲葉山城)が指呼の位置にはある。が、長良川の右岸であり、木曽川の右岸ではない。尾張からの岐阜城(稲葉山城)攻めの地としてはだいぶ西寄りで、最前線の橋頭堡ではなく、補給基地の一つというべきであろう。治承・寿永の乱、承久の乱、南北朝期の内乱の古戦場として知られる墨俣は東西交通の要地であり、この著名な地を活用して、秀吉の出世譚が創作されたことは十分に考えられる。資料館内の古図パネルでは茜部(東大寺領茜部莊の故地)も含めた地がクリーク地帯のようになっており、興味深い。


2015年7月15日更新
NO.150(2015.6.15)
 笠縫の堤。岐阜県大垣市。2015年6月7日撮影。昨年から大学院の演習で美濃国大井莊・茜部莊の史料を読んでいる。写真は新たな科研調査を始めるゼネラル・サーベイの一コマ。正治2年(1200)4月日美濃国在庁官人等解案に「笠縫堤」が登場する。現在、杭瀬川付近に笠縫堤が存在し、桜の名所となっている。近くの伏流水が集まって水門川と成り、大井莊の北方条里地域一帯を灌漑し、これが大垣城の外堀の水路へと続く。在庁は洪水によって破壊された笠縫堤を修復するため大井莊に負担を求めたのだが、荘園領主の東大寺はこれを拒否。荘園側の言い分にかなり無理があるように思えるのだが、大井莊は杭瀬川に直接取水する井堰を必要とせず、湧水群(ガマなどと呼ばれる)によって灌漑を維持できたのであろう。一部に冠水はあったものの、大井莊にとって笠縫堤決壊の影響は間接的なものであったらしい。


2015年6月15日更新
NO.149(2015.5.15)
 周防阿弥陀寺所蔵の鉄宝塔銘文(一部)。2015年3月28日撮影。重源が願主となって建久8年(1197)に鋳造したもの。国宝。鋳だした銘文があまりの迫力なので、住職に許可をいただき、撮影し、載せさせていただいた。鉄宝塔には水晶三角五輪塔が安置され、仏舎利が納められている。銘文中に大檀那の「多々良氏」を読むことができる。周防国衙―大内氏―鉄生産のイメージが湧き上がるすばらしい塔である。


2015年5月15日更新
NO.148(2015.4.15)
 ニューヨーク・セントラルパーク。2015年3月11日撮影。雪が残り、池には氷が張っている。常緑樹が多い東京の公園とは相違して、落葉樹のみで植栽されている。3月半ばでも冬のように見える。セントラルパークにはマンハッタンの岩盤が背骨のように突き出ており、きらきら光る結晶を含んでいて美しい。摩天楼を支える岩肌は何とも頼もしく、周辺を走っている人も落ち着いた表情である。


2015年4月15日更新
NO.147(2015.3.15)
 コロンビア大学東アジア言語文化学部におけるシンポジウム「日本の文学・文化研究における新たな地平」のオープニング。2015年3月13日撮影。文部科学省のス-パー・グローバル・ユニバーシティ(通称SGU)支援事業によって開催された。角田柳作氏、ドナルド・キーン氏、ハルオ・シラネ氏によって切り開かれたコロンビア大学における日本文化研究を継承して、さらに発展させようというシンポジウム。コロンビア大学と早稲田大学との新たな提携により実現。今後長く研究交流が続くものと思われる。


2015年3月15日更新
NO.146(2015.2.15)
 フランス、アルザス地方タンのワイン畑。2013年3月19日撮影。日本学術振興会のストラスブール事務所にて講演を行ったとき、ストラスブール大学の先生からコルマールよりさらに南に下ると山が迫り、そこには石垣を築いた急斜面上にワイン畑があって、棚田に匹敵する景観的価値があるのではないかと教えられた。早速タンに出かけ、特産の白ワインを飲む機会を得た。日本の棚田米で作った酒と似た香りがあり、感慨一入であった。


2015年2月15日更新
NO.145(2015.1.15)
 フランス・アルザス、ジゴルスハイム戦没者追悼記念公園近くのブドウ畑と山城。2013年9月5日撮影。アルザスは白ワインの産地で、山際にブドウ畑が続く。日本では一本の木から蔓を長く伸ばして一定の高さに実を垂らすが、こちらは木を密にして枝を短く切る。収穫時には農家の人手が足りず、ストラスブール大学などの学生が出て、昔ながらに籠を担いで手でもぐとのこと。もちろん、ハサミぐらいは使うが、機械化はされていない。アルザスの西に展開するボージュ山地には多くの山城が残されており、もともと岩盤が露頭した要害の地に立てられている。画像のような景観は中世から続いているのであろう。

2015年1月15日更新
NO.144(2014.12.15)
 新見市内ノ草にある大仁子(おおにご)の水田。2011年8月16日撮影。12月に刊行した海老澤衷・酒井紀美・清水克行編『中世の荘園空間と現代』(アジア遊学178、勉誠出版)の裏表紙に載せた写真である。関東で谷田(やつだ)、西の地域では迫田(さこだ)等とも呼ばれる細い谷あいの水田である。内ノ草は鎌倉時代に開発が進んだが、このような谷あい以外には水田をひらく余地のないところである。丘陵上に集落があり、新見荘の里村と奥村を結ぶ交通上の要衝であったが、現在では、町に降りて生活を営む人が軽トラックで上って耕作を続けている。


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