刊行にあたって


                              海老澤


 


 二一世紀COEプログラムアジア地域エンハンシング研究センター(拠点リーダー大橋一章氏)は、二〇〇二年度から研究活動を開始した。このセンターは、早稲田大学に設置されている八つのプロジェクト研究所から構成され、中国文明と地域文化の重層的な諸関係を四川と近隣地域の関係(四川モデル)から敷衍して明らかにすることを設置目的としている。気候風土から、アジアの地域文化を@乾燥地帯とオアシス文化、A草原地域と遊牧文化、B森林地帯と狩猟文化、C亜熱帯と稲作文化の四つに分類し、それぞれをプロジェクト研究所が分担して研究を進めるもので、このうち、水稲文化研究所はCの「亜熱帯と稲作文化」をラオス地域人類学研究所と共に担当している。


 水稲文化研究所の研究方針は、東アジアにあって日本とインドネシア・バリ島という南北の島嶼を比較研究するとともに、仏教文化を共通項として日本と中国の水稲文化を探求する、いわば東西軸の研究も視野に入れている。今回調査の対象とした紀ノ川流域は、高野山とその分派である根来寺が強い影響力を有して荘園経営を行い、水田開発を進めたところである。現代に至るまで伝統的景観を残し、一部は世界遺産として登録されており、日本の文化的景観の要をなす「棚田」の呼称も応永年間(一三九四年〜一四二八)に紀ノ川流域の荘園から生まれたことが知られている。


 このような伝統のある文化的景観に恵まれた地ではあるが、高速道路などの建設によってその様相は大きく変わりつつある。かつて科学研究費基盤研究(C)(2)「紀ノ川流域における荘園の復原調査」で、紀伊国鞆淵荘の調査を行った(一九九八年〜九九年)。このときには、紀ノ川の支流域の山間部であったこともあり、美しい柿の木畑に魅了されて、桃源郷に居る心地であったが、棚田学会での報告の必要性から荒川荘を歩いて棚田発祥の地を捜したときには、まさにその水田が荒れ地となっていることを知り、さらにそれが単なる耕作放棄の水田ではなく、紀ノ川南岸の県道整備にかかわるものであることがわかって、愕然とする思いであった。


 和歌山県立博物館学芸員である高木徳郎氏をリーダーとする紀ノ川流域研究会によって相賀荘と官省符荘にわたる地域の総合調査が実施され、これに関わった二一世紀COEプログラムの研究助手である堀祥岳君が編集および図面作成を行って本報告書ができあがった。調査に協力していただいた地域の人々、文字通り手弁当で参加された若手研究者の皆さん、面倒な図面印刷も快く引き受けられた白峰社に改めて感謝申し上げたい。