NO.223(2024.4.15)
 東福寺南大門。2024年2月12日、京都東福寺の初午懺法会を見学する。昨年の12月2日に京都学・歴彩館で行われた東寺文書研究会にて「備中国新見荘の地頭方政所と季瓊眞蘂」という報告をさせていただいた時、『蔭凉軒日録』の文正元年二月十日の記載に足利義政が東福寺に御成りし、初午懺法会を聴聞した経緯を述べた。
 幸いにもこの初午懺法会が現代にまで継承されていることを知り、東福寺のご厚意により方丈の間で行われる儀式を廊下からガラス戸の入った襖を隔てて拝見・拝聴することができた。方丈の間には観音菩薩のみならず日本の主な神々をも呼び寄せた聖なる空間が現出する。
 季瓊眞蘂が客殿と記した法会の場は現在の御所間が併設された方丈にあたるところであり、約30名の僧侶によって行道が行われる。季瓊は、座席数から勘案して約300人の僧侶が参加したと記しており、この数値を信じれば文正期には現在の10倍の規模で行われたことになる。又現在では三幅の観音像が掲げられているが、文正期には明兆の筆による三十三幅の観音像が並べられていた。これも十倍規模となる。
 文正期は応仁の乱の直前にあたるが、その法会を現代でも再現できることが素晴らしい。