1993年度 日本史学演習(海老澤衷先生ゼミ) 活動記録


写真は6月の新入生歓迎合宿の際のもの(称名寺/金澤文庫)

年間の演習テーマ:長福寺文書の研究

 石井進編『長福寺文書の研究』(山川出版社、1992年1月)を中心素材に、ゼミ各員
  の研究対象や興味を勘案して1班4〜5人程度の4つの班(寺院組織班・寺領班・
 など)に分け、班別に事前研究(サブゼミ)を行った上で1週1班の割合で研究発表
  を行った。

演習の成果:1年限りの研究テーマであったこともあり、一部の文書の人名・年代比定な
      どが明らかになったことを除いて、前掲『長福寺文書の研究』所収の各論文
      の論旨の再検討を迫る成果は残念ながら出せなかった。

ゼミ行事

1993
4月   卒業論文報告会(1993年度修士課程入学者)
5月7日 新入生歓迎コンパ
6月5・6日 新入生歓迎合宿 鎌倉(鎌倉宮・覚園寺、名越切通・名越大切岸)
               金澤文庫(福島金治氏のご厚意で金澤文庫文書閲覧)
8月28−30日 夏季研究発表合宿 (早稲田大学軽井沢追分セミナーハウス)
        修士課程1年: 修士論文構想報告  修士課程2年:修士論文概要報告
        修士課程以上:個別研究発表
1994
3月28・29日 春季研究発表報告会  修士課程1年:修士論文内容報告
                  修士課程以上:個別研究発表報告
       懇親会(銀座ACB)
                                    (ゼミ幹事 湯原和則)

【海老澤のコメント】
 1993年、初めて大学院の研究指導と演習を担当する。この年度、瀬野先生は国内研究員となり、12月には鎌倉遺文研究会を発足させている。
 92年夏、大分県教育委員会文化課勤務の小柳和宏氏の担当された西国東郡大田村の圃場整備事業に伴う事前調査を手伝うことになる。9月9日、黒田智君、福眞睦城君、それに東京大学大学院修士課程1年の井上聡氏の3名に五日市線秋川駅に集合してもらい、車にて大分に向かう。これが大学院の人たちと行う荘園調査の初めであった。この年の秋、東京大学国史研究室が国東で研修旅行を行っている。石井先生の熱意で、東大では何度かこの地で研修旅行を行っているが、92年には田原別符の灌漑調査なども組み込まれていた。
 1993年5月11日に東京を発ち、17日に帰るまで、現地でまる5日間田原別符の調査を行った。この時のメンバーは、黒田智、高木徳郎、畠山聡、斎藤直子、水谷維紗久と、東京大学大学院の井上聡、菊地大樹、田中克行、高橋典幸であった。下の写真は、民宿かのうの玄関で撮影したものである。鎌を持った故田中克行氏はフィールドワークにもきわめて積極的で、地名や石造文化財の調査に大活躍であった。この時の調査は、玉永光洋氏、小柳和宏氏の努力によって『豊後国田原別符の調査T』および『同 U』にまとめられた。さらに後藤一重氏が主に担当して『同 V 波多方の歴史』が刊行されている。県営圃場整備事業のいわば日常的な調査の中に、歴史研究者の作業が組み込まれた貴重な事例だと思う。私自身も学ぶことが多く、『岩波講座日本通史7 中世1』の「中世村落の復原」は、この時の体験をもとに記述させていただいた。

1993年5月16日

 

 


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