2004年度TOP画像

・2005年1月15日更新・
No.24(2004.12)
2004年、教務部の仕事としてもっとも苦心したのがペアレンツウィーク(学部ではペアレンツデイ)の立ち上げであった。先生方に負担をかけるのは心苦しいことであったが、何とか対象の全学部で実施していただくことができた。
約1600名の父母が参加し、大学としての説明責任の一端を果たす機会となったといえよう。写真は11月2日、文学部父母説明会の日に開催された伊藤多喜雄氏が人生経験を語る講演会・演奏会での一場面。息のあった学生との共演が見事。

・12月25日更新・
No.23(2004.11)
11月27日に水稲文化研究所主催シンポジウム「古代・中世仏教寺院の水田開発と水稲文化」を早稲田大学文学部681教室にて開催。一昨年は「対馬における歴史と文化」、昨年は「東アジア村落における水稲文化の儀礼と景観」をテーマにシンポジウムを開催したが、これらは対馬とバリ島の比較研究を中心とするもので、いわば南北軸の研究であった。今回は中国文明を視野に入れた東西軸の研究である。事前調査も行い、充実したシンポジウムであったと自負している。後援は早稲田大学21世紀COEプログラムアジア地域文化エンハンシング研究センター。

・11月27日更新・
No.22(2004.10)
11月27日に水稲文化研究所主催シンポジウム「古代・中世仏教寺院の水田開発と水稲文化」を早稲田大学文学部にて開催する。後援は早稲田大学21世紀COEプログラムアジア地域文化エンハンシング研究センター。9月17・18日に報告準備会と東大寺境内地調査が行われた。写真は左から田村憲美・平松良雄・新川登亀男・横内裕人の4名。現在入念な準備が進められている。乞う!ご期待。

・10月1日更新・
No.21(2004.9)
9月8日、軽井沢セミナーハウスにて撮影。本年の大学院合宿は、修士論文の構想報告に限定して、8名が行った。9月1日に浅間山が噴火し、写真の背景にはその噴煙が見えている。また台風18号が、西日本に大きな災害をもたらしつつ日本海を縦断する中で、伝統のゼミ合宿では初めて野外バーベキューを行った。紙コップがとばされる風が一度吹いただけという奇跡的な状況であった。この加護が、報告者全員に及ばんことを祈念。
・9月11日更新・
No.20(2004.8)
8月10日、棚田学会主催シンポジウム「棚田からアジアが見える」が、早稲田奉仕園にて開催された。内容は、中島峰広「シンポジウム開催にあたって」、春山成子「東南アジアと棚田」、ルー・バン・テイエム「ベトナム北部のライステラス」、安藤和雄「雲南省紅河県哈尼族の棚田農業」、海老澤衷「傾斜面水田調査の方法と課題」、堀祥岳「対馬豆酘の耕地景観」、船引彩子「地形立地から見た星野村の棚田」。参加者80名。熱のこもった討論が展開された。また、11日には棚田学会の国際フォーラムが三越本店7階ギャラリーで開催され、棚田体験展と相俟って好評を博した。

・7月23日更新・
No.19(2004.7)
ここにもある熊野古道。7月1日、「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録された。信仰の道として大辺路・中辺路・小辺路・伊勢路・大峰奥駈道が指定されたが、このほかにも非常によく保存されている古道がある。その一つが三重県紀和町の「通り峠」。近世の生活路というが、伊勢路の風伝峠に近く、まさに熊野の中心にある。この峠からは棚田で知られる丸山千枚田が眼下に展望でき、棚田百選の中でもトップクラスの景観を楽しむことができる。

・6月19日更新・
No.18(2004.6)
2003年5月11日撮影。対馬の南端豆酘の集落。龍良山の照葉樹林が美しい。科研基盤B「東アジアにおける水田形成および水稲文化の研究(日本を中心として)」を象徴する写真を一枚だけ挙げるとしたら、このショット。5月下旬からようやく報告書の配布を開始することができた。藤木久志氏からいただいた感想の一部を紹介する。「若い方々が生きいきと活躍されているのも印象的でした。バリと対馬という、画期的な鮮やかなご追究が、COEの活動の中で、さらに深められていくのですね。」この励ましの言葉を胸に、さらに努力していきたい。

・5月22日更新・
No.17(2004.5)
2004年5月16日、愛媛県弓削町願成寺にて。本年は大学院授業で東寺領伊予国弓削島荘を研究する。その手始めとしてゼネラルサーベイを行った。願成寺では住職から懇切な説明をいただいた。島を一周して、法王ヶ原の海岸に着いたときには、一同疲れもピークに達したが、夕暮れの中、青春の残り火を愛おしむように美しい浜辺を走る姿もあった。

・4月24日更新・
No.16(2004.4)
1998年7月26日撮影。和歌山県粉河町の粉河祭りにて。儀礼におけるジェンダーというとオーバーになってしまうが、幼少の巫女を肩車するのは中世からの伝統。「東大寺八幡転害会記」(写真右、東大寺図書館所蔵)では妙齢、熟年の巫女は馬に乗るが、幼少の巫女は馬の脇で肩車の行列。勿論、傘は差し掛けられている。

・3月27日更新・
No.15(2004.3)
2003年12月22日、バリ島ウブドのアルマにて撮影。巨大な私立美術館に舞踊のワークショップが併設されている。この島ならではの光景。少女の真剣なまなざしが印象的。横ではほぼ同じスペースを使って少年の舞踊練習が行われているが、こちらはお世辞にも熱心とはいえず、人数も少ない。芸能史には必然的にジェンダーを伴うものであることを実感した。

・3月4日更新・
No.14(2004.2)
2月27日、網野善彦氏が逝去された。写真は1997年5月12日の竹内理三先生追悼講演会のもの。多くの歴史研究者と同様、私もまことに大きな学恩を受けた。「荘園公領制の形成と構造」(体系日本史叢書6『土地制度史T』山川出版社、1973年)が私の研究の出発点となり、同時代史として網野史学の展開を見聞できたことを一生の宝としていきたい。

・2月6日更新・
No.13(2004.1)
2003年12月24日撮影。バリ島バサンアラス村における調査。灌漑組織スバックの三役(スバック長・会計・書記)に集まっていただき、スバック・バサンアラスの活動について聞く。村のヒンドゥー寺院プラプセ・プラデサと同じ境内にある会議所にて。灌漑水田は32ヘクタール、119人で構成。村全体では320世帯。現在の日本の村落と比較すると人口が多く、活気がある。

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