◇略歴
1948 年東京都に生まれる。早稲田大学第一文学部卒業後、大学院文学研究科修士課程入学。博士後期課程に進学。1980年、大分県教育庁歴史民俗資料館設立準備室研究員。81年大分県立宇佐風土記の丘歴史民俗資料館研究員。 87年早稲田大学文学部専任講師。90年同文学部助教授。95年同教授、現在に至る。2000 〜02年早稲田大学大学院文学研究科教務委員、2004 〜 06年同教務部副部長。2010〜2013年日本学術振興会学術システム研究センタープログラムオフィサー。2012年〜2014年早稲田大学文学学術院副学術院長、大学院文学研究科長、総合人文科学研究センター所長。2014年から早稲田大学副研究院長。同年から文化審議会専門委員(文化財分科会)。
◇研究分野
日本中世史。日本の荘園史研究から出発し、東アジアの水田開発史、村落景観論を多角的に研究。
◇学部教育
文学学術院文学部日本史コースに所属し、演習・講義を担当。2005年から2010年までオープン教育センターのテーマカレッジ「日本とバリ島−社会構造と伝統文化の比較研究−」を開き、責任者を務める。
◇大学院教育
文学研究科日本史学コースに所属し、演習・研究指導を担当。博士後期課程の研究指導に関して、課程博士の学位を取得した者8名。論文博士の学位を取得した者 8 名。修士の学位を得た者 13 名。
◇共同研究
2000 年に早稲田大学のプロジェクト研究所である水稲文化研究所を設立。2002年より 2007 年まで 21 世紀 COEプログラム「アジア地域文化エンハンシング研究センター」(事務局:早稲田大学大学院文学研究科)の事業推進担当者として共同研究を進める。長崎県対馬、愛媛県弓削島、インドネシアバリ島など島嶼のフィールドワークが中心となる。2010年から文学学術院の附置研究所となる総合人文科学研究センター(通称人文研)の創設に尽力。2012年から2014年度まで同センター所長として共同研究の基点となる13の研究部門を立ち上げる。この間、科研(基盤研究B)「備中国新見莊における総合的復原研究」にて共同研究を開始し、環境・景観を含めて中世荘園の分析を進める。2015年から科学研究費基盤研究(A)による略称「科研:既存荘園村落情報」(正式名称は下記一覧参照)を開始。1978年に地方史研究全国大会で採択された「圃場整備事業に対する宣言」を見直し、この宣言の影響により作成された図面および調査資料を収集して、デジタルデータベース化を図り、あわせて現代のIT環境下における調査方法を確立するものである。
◇科学研究費取得研究(研究代表者のみ)
@基盤研究 C( 一般 ) 「紀ノ川流域における荘園の復原研究」 (1998 〜 1999 年度 )
A基盤研究 B( 一般 ) 「東アジアにおける水田形成および水稲文化の研究 ( 日本を中心にして ) 」 (2002 〜 2003 年度 )
B基盤研究 A (一般)「東アジア村落における水稲文化の儀礼と景観」 (2004 〜 2007 年度 )
C基盤研究 B (一般)「備中国新見荘における総合的復原研究」(2010年度〜2013年度)
D基盤研究 A (一般)「既存荘園村落情報のデジタル・アーカイブ化と現在のIT環境下における研究方法の確立」(2015年度〜2018年度)
◇所属学会・役職
・歴史学研究会・委員( 1993 〜 1995 年)
・早稲田大学史学会・評議員( 1996 〜 2000 年、2010年〜2012年)
・史学会 ( 東京大学文学部 ) ・評議員( 1997 年〜2011年)
・棚田学会・理事( 1999 年〜2012年)、副会長 (2007 年〜2012年 )、監事(2012年〜)
・鎌倉遺文研究会・代表 (2000 年〜 )
・日本歴史学会・評議員( 2004 年〜)
◇学位請求論文『荘園公領制と中世村落』(校倉書房、 2000 年、 A5 判 544 頁)、〈 2001 年 学位・博士 ( 文学 ) 取得〉
本論文は、日本中世における土地制度と村落との関係を明らかにしたものである。その分析視角は、次の三点にまとめられる。
(1)一国規模の荘園・公領を書き上げた大田文により、所領単位の存在形態と相互の結合状況を明らかにする。その際、別名の開発および政治的位置付けにポイントを置く。
(2)従来制度的な側面のみが研究されてきた「名 ( みょう ) 」の動態的な復原を行い、「名」を数百年生き抜いた生命体として考察する。
(3)中世村落の景観的な変遷を現代の状況から復原し、そのことにより現代における村落景観の価値を明らかにする。
第一部では、「荘園公領制の地域的展開」として薩摩・大隅・日向・豊後・若狭をフィールドとし、主に(1)の視点に立って行政単位としての「院」や広義の別名に含まれる「別符」「浦」などの考察を行った。その結果、近世村落の枠組みにまで大きな影響を与えた別名の歴史的意義と鎌倉幕府の役割が明らかになった。第二部では、「荘園公領制下の開発と名の変遷」として、豊後国田染荘(たしぶのしょう・ 大分県豊後高田市 )を対象に「名」の動態的な復原を行った。「名」を土地制度としてのみ捉える従来の固定観念を打破することに成功したが、同時にこの田染荘が、中世的村落景観を現代に伝える貴重なフィールドであることが明らかとなった。第三部「中世村落の復原と保存に向けて」は、第二部での研究手法を詳細に紹介し、他地域での応用を試みたものである。和泉国日根荘・備後国太田荘・豊後国田原別符・豊後国大野荘などを扱ったが、「棚田と水資源」の景観的な位置づけから日本およびアジアでの水稲耕作全般の問題に展開が可能となる方法であることが明らかとなった。 |