2006年度TOP画像

1月21日更新・
No.48(2006.12)
 カンボジア調査では、アンコールワットを訪れる前に、プノンペンにて研究機関との情報交換をおこなった。写真は8月1日カンボジア王立農業大学において、水田農耕の問題のみならず、学術交流一般についてもディスカッションを行っているところ。正面は王立農業大学の学長CHAN NARETH氏と早稲田大学常任理事堀口健治氏。カンボジアの各大学・研究機関は日本に熱い視線を向けていることがわかった。この後、プノンペン市内の国立博物館や近郊のウドンで調査を行ったほか、シェムリアップに移動してトンレサップ湖、さらには山岳地帯のクバールスピアンを踏査し、アンコールワットのほか、それに先行するロリュオス遺跡群のプリア・コー寺院などを調査して多くの知見を得ることができた。クメール王朝と水利との関係は予期した以上に密接で、ヒンドゥー教と仏教が複雑に絡み合ったその遺跡から、日本の古代国家が果たしえなかった壮大な水利社会を見ることができた。

12月15日更新・
No.47(2006.11)
2006年10月30日撮影。長野県上田市の稲倉の棚田にて。中央はインドネシア・バリ州にあるウダヤナ大学農学部のイ・グデ・ピタナ教授。現在、文化観光省の観光開発研究所長を兼務している。28日にアジア地域文化エンハンシング研究センターのシンポジウムで講演をしていただいた。向かって右は、早稲田大学非常勤講師の三浦恵子さん。左は東京大学大学院人文社会系研究科修士課程生の工藤裕子さん。今回のシンポジウムで『講座水稲文化研究U バリ島の水稲文化と儀礼−カランガスム県バサンアラス村を中心として』を配布した。以上の三名の方に、執筆・翻訳をいただき、他の執筆者と併せてバリ島の新たな共同研究を展開することができた。なお、右端は、この地を耕作する佐藤隆さん。

11月15日更新・
No.46(2006.10)
2006年10月1日撮影。第一文学部日本史学演習UB(2年生)の軽井沢セミナーハウスでの合宿。1991年度から連続して行っている。この間、交通アクセスが大きく変化した。91年には、まだ長野自動車道が無く、関越高速の前橋インターチェンジから18号線に入り、碓氷峠のバイパスを経由して軽井沢を目指した。当時、あきる野の自宅からは圏央道もなく、高速道路の利用は川越−前橋間のみであった。勿論、JRも大きく変化し、長野新幹線の開通により、横川−軽井沢間の在来線が消え、この間の鉄橋などは近代化遺産となっている。この授業は通年で行うもので、合宿が前期と後期の境目にあたり、個人報告からグループ報告に向かう結節点となるものである。学部改革のため、来年度で一段落となる。

10月15日更新・
No.45(2006.9)
 2006年9月1日撮影。バリ島スバック・バサンアラスの用水路を辿る。シンガリを務めているのは松澤徹氏(高等学院教務副主任)。9日間にわたるバリ島現地授業「日本とバリ島(芸術文化体験編)」の一コマ。本年は4単位の授業としたため、儀礼供物器作り・ガムラン音楽・舞踊・絵画の4つの実習を必修として成果をあげることができた。バリ島の調査も佳境を迎えてきた。来る10月28・29日には、COEシンポジウム「アジア地域文化学の構築W−地域からみるアジア史像への提言」が早稲田大学国際会議場で開催される。水稲文化研究所は、28日15時40分から「バリ文化と灌漑組織スバック」と題して海老澤とピタナ氏が報告する。乞うご期待。

9月19日更新・
No.44(2006.8)
2006年8月2日撮影。カンボジアのアンコール・トム近傍にあるプノン・バケン寺院から西バライに沈む夕陽を見る。プノン・バケンは9世紀末に標高60mの丘の上に建てられたヒンドゥーの寺院。西バライは11世紀に完成した東西8km、南北2.2kmの巨大な池。四方に堤を築く完全な皿池である。スールヤヴァルマン1世とウダヤーディティヤヴァルマン2世の二代の王によって築堤された。クメール王国においては都市と寺院と池が計画的に配置され、大規模な建設が行われた。アンコールワットはこのようなクメールの水利社会を束ねる象徴であり、他にも無数の建造物がある。西バライには、西メボンという人工島があり(画面左手に見える)、巨大なヴィシュヌ神の胸像が発見されたことでも知られる。

8月24日更新・
No.43(2006.7)
 2006年6月17日撮影。韓国慶尚南道南海郡の加川棚田マウルにて田植え。棚田学会と韓国の研究者とのセミナーが南海郡農業技術センターにて開催された。韓国においても農業生産の構造は大きく変化しており、棚田における水稲耕作は急速に減少している。この南海(なむへ)は朝鮮半島南端の島であるが、連絡橋ができてから、人口減少が著しく、過疎地域となっている。韓国ではこの地(加川)に注目し、棚田マウルとして668枚の水田の保存を図ることを決定。海岸ではあるが、漁港はなく、岩盤が露出する景勝の地となっている。

7月30日更新・
No.42(2006.6)
峨眉山(中国四川省)の金頂と呼ばれる標高3050mの頂上付近。2006年3月9日撮影。芥川龍之介の名作「杜子春」の修行の場は今も雲の上に健在である。普賢菩薩の霊場として知られ、世界遺産に登録されてから急速に山頂付近の整備が進んだ。金色に輝く堂が建立され、さらに屋外に巨大な普賢菩薩の像が建てられている。現代中国の宗教政策を象徴するモニュメント。

6月22日更新・
No.41(2006.5)
泡菜(パオサイ)の瓶。2006年3月10日、中国四川省伏虎寺にて。伏虎寺は峨眉山の麓にある尼寺。泡菜は、四川省独特の浅漬けのつけもの。材料はニンジンでもセロリでも何でもいいらしい。四川料理を食べた後、この泡菜を食べるとさっぱりして実にうまい。朝食にはサラダの代わりに出ている。この伏虎寺には尼房があって大勢の尼さんが泡菜にする野菜を持ち寄って楽しそうに話していた。この瓶は世話をする寺男が管理しているらしい。

5月18日更新・
No.40(2006.4)
2006年3月7日撮影。中国四川省都江堰の魚嘴。中華帝国を象徴する水利施設の一つ。世界遺産に登録されている。甘粛省の東部一帯を根幹地としていた秦が、紀元前316年、四川地域を占領し、ここを食料基地として東進を続けて、前256年には周を滅ぼし、全中国の統一を進めた。その基礎となったのが、この都江堰である。長江の支流である岷江から用水を誘導し、丘陵を開削して、大扇状地に水路網を巡らしたものである。その灌漑範囲は成都平原5300平方キロのうち、成都近郊を広く包み込みこんでいる。大規模な分水施設であるが、固定堰すなわちダムにあたるものはない。

4月15日更新・
No.39(2006.3)
2005年9月13日撮影。バサンアラス村からバリ島最高峰アグン山を眺めていると、葛飾北斎の描く赤富士のように見える瞬間がある。夜が明けて朝日が昇るとき、周辺の雲も茜色となり、アグン山が燃え上がるように輝く。鶏たちは、中庭を元気に跳び回っているが、子豚たちはまだ母豚のおなかの上で重なって眠っている。家では母親が食事の支度にかかる頃だ。なお、写真に表示されたタイムは日本時間。バリ島では午前6時17分。

3月30日更新・
No.38(2006.2)
2005年9月13日撮影。バリ島カランガスム県バサンアラス村テンペック・スディでの水田の収穫。収穫の形態もバリ島の各地域で様々であるが、バサンアラス村の場合は規模の大きな集団で行っている例。ほうきで籾をはいている女性が、この水田(面積約25a)のオーナーであり、村内のグループ(近隣の知り合い13名で構成)に収穫を請け負わせたもの。写真にあるとおり、動力は一切使わず、刈り取った稲をGREJAGという木(竹)の板に打ち付けて籾を落とす。落としきれなかった籾は後ろに座っている女性が点検して、摘み、同時にワラ束を揃える。遠景のワラ束を頭上に載せている女性は牛の飼料にするため運んでいるもの。完全に黄色になったワラは牛が好まないので水田に残される。このグループは収穫の8分の1を受け取ることができる。なお、オーナーの女性には、夫も息子もいるが、一切手伝っていない。また、田植えは男性中心の別のグループが行った。

2月20日更新・
No.37(2006.1)
 2005年9月5日、バリ島ウブド王家の研修施設ヴィラ・プラナ・サンティにて、供物作りの実習。テーマカレッジ「日本とバリ島−社会構造と伝統文化の比較研究」は、2006年度も開講。主な変更点は、@「日本とバリ島U」(現地授業・夏季集中)が「日本とバリ島−芸術文化体験編−」と改められ、2単位から4単位の授業となること、A余語琢磨氏担当の「バリ島の村U」が「バリ島の村(基層文化体験編)」となり、2単位の夏季集中現地授業となること、B細谷葵氏が担当する「南島文化」が新設されること、の以上3点である。詳しくはトップページ下欄参照のこと。

Copyright (C) 2008 EbisawaKenkyushitsu . All Rights Reserved