2010年度TOP画像

2011年1月15日更新・
NO.96(2010.12)
 伊東市山喜旅館にて。2010年11月21日撮影。早稲田大学文学部日本史コースの2年生合宿。かつては第一文学部と第二文学部であったが、現在では学部改変が行われ、文化構想学部と文学部になった。2010年度に新生学部の卒業生が巣立つ。日本史コースでは、昨年度より教員が全員参加する合宿を始めた。この山喜旅館は和風の佇まいだが、中にはバレースタジオやアスレチックジムがあり、若者の修練を考えた構造になっている。ここで教員と学生が授業・会食・懇親会を行って、温泉に入り、研究と人生を語ろうという趣向である。     
2010年12月15日更新・
NO.95(2010.11)
 水稲文化研究所主催ワークショップ「バリ島の農業と灌漑システムの歴史」。2010年11月4日開催。インドネシア・バリ州にあるウダヤナ大学の二人の教授による講演と討論があった。Anak Agung Bagus Wirawan氏は文学部教授で、14世紀から19世紀までバリ島に君臨したゲルゲル王国研究の第一人者である。今回のテーマは「ゲルゲル王国とスバック・グデ・スウェチャプラ」。I Gede Putu Wirawan氏は、農学部教授で副学長。「バリ島農業とスバック」をテーマに講演された。スウェチャプラはゲルゲル王国の王宮の名前。この名前を冠する巨大な水利組織スバックはバリ島が近代化する中で危機を迎えている。その状況の詳細な報告があった。   
2010年11月15日更新・
NO.94(2010.10)
 バリ島タバナン県のジャテルイからワンガヤングデに向かう途中にある棚田。2010年8月11日撮影。ジャテルイは棚田の展開のスケールが大きいことで有名だが、ビュースポットから少し離れたところにも急傾斜の麓から尾根上まで展開する棚田がある。周辺には小さなヴィラがあり、日本人はほとんど利用しないが、長期滞在型の旅行をするヨーロッパ人が好んで宿泊する。ワンガヤングデは、ウダヤナ大学の副学長ウィラワン農学部教授の故郷であり、ジャテルイの近くにある。ウダヤナ大学にはゲルゲル王国を研究する文学部のウィラワン教授もいる。お二人には11月4日水稲文化研究所主催で開くワークショップで講演していただくことになった。   
2010年10月15日更新・
NO.93(2010.9)
 岡山県新見市江原八幡宮にて。2010年9月11日撮影。科学研究費基盤研究B「備中国新見荘の総合的復原研究」の研究分担者を中心とする現地調査。西方小学校の人たちと一緒に現地を歩く機会を得た。この江原八幡宮の祭礼には、安藤さん、丹所さん、吉国さんなどが名田の代表者として定められた座に参列する。小学生も中世名主の子孫なのであろう。荘園の善き伝統をいつまでも伝えて欲しいものである。 
2010年9月15日更新・
NO.92(2010.8)
 バリ島の水利組織の一つ、スバック・グデ・スウェチャ・プラの取水口付近の水路。2010年8月12日撮影。このスバックは、現在565ヘクタールの灌漑面積を有し、バリ島の中でも屈指の規模を誇るが、ゲルゲル王国時代には約900ヘクタールの水田に用水を供給するものであった。クルンクン県に存在したゲルゲル王国は、かつて多くのヌガラ(バリ島に存在した小国家)を管理下に置き、幕藩体制下における幕府のような役割を果たしていた。そのお膝元にあるのがスバック・グデ・スウェチャ・プラである。ウンダ川から引水するが、その取水口は近代的なダム堰の上流にあって川原石を積み上げて作られており、その伝統がよく守られている。
2010年8月15日更新・
NO.91(2010.7)
 科学研究費基盤研究(B)「備中国新見荘における総合的復原研究」の第1回ワークショップ。2010年6月21日撮影。報告は、@海老澤「備中国新見荘における総合的復原研究の課題」、A大澤泉「新見荘関連史料2010年度目録について」、B似鳥雄一「下金子地区の調査」、C高橋傑「伊予国弓削島荘調査から備中国新見荘調査へ〜GISの利用を中心に〜」。今回の研究目的は、東寺文書から拾える厖大な中世地名と竹本豊重氏を中心とする現地の古老の記憶などによりこの地において中世村落景観の復原を行うことにある。東大史料編纂所が試みている荘園絵図による復原研究と協業して「多層荘園記録システム」(仮称)の精度を高めていきたい。
2010年7月15日更新・
NO.90(2010.6)
豊後高田市田染小崎にて。2010年6月13日撮影。本年、「田染荘小崎の農村景観」が重要文化的景観に選定された。この日は、荘園の里推進委員会によって第11回の田染荘御田植祭が開催された。朝から雨模様の天気であったが、開会の13時にはあがり、絶好の田植え日和となる。別府大学、九州大学がバスを連ねて参加したため、300人を越える人が集まった。早稲田大学も大学院ゼミの新入生歓迎旅行を兼ねて12名ほど参加し、地域の人々と楽しい交歓の一時を過ごすことができた。
2010年6月15日更新・
NO.89(2010.5)
 岡山県美咲町大はが西の棚田。2010年5月16日撮影。棚田百選の中でも屈指の耕作面積が保全されている。現在では機械植えが当たり前となったが、複雑な地形に沿って手植えも行われる。ただし、日本の場合、夫婦営農が中心となってしまったため、中国雲南省の棚田のように女性が数名のグループで手植えするといった風景は見られない(No.29、2005.5参照)。大はが西の棚田はすり鉢の底のようなところに展望所があって、360度棚田を仰ぎ見ることができるが、手植え作業する人は他に一ヶ所確認できただけ。田植えが孤独な営みに見えた。この日、棚田学会の20回目の現地見学会が行われ、吉備高原に展開する北庄とこの地の壮大な棚田を見学し、大はがの人たちが運営する紅そば亭で手打ちそばをいただいた。
2010年5月15日更新・
NO.88(2010.4)
 豊後高田市天念寺にて。10年に1度行われる国東半島六郷山の回峰修行「峯入り」のひとこま。前日、熊野磨崖仏前の採燈護摩で開始された峯入りは、田染荘を南から北に抜け、都甲荘の長安寺で1泊。この日は長安寺から降りて、まず天念寺に入った。ここでは里人が行者をねぎらって、ビンビコ(肩車のこと)で接待する。この後、無明橋など、最大の難所が待ち受けている。この行場を過ぎれば、無動寺、応暦寺など里の寺院が続く。さらに山越えして夷谷の霊仙寺に入り、岩峰を縫って千燈寺から旧千燈寺に向かう。枕岩屋で仁聞菩薩を供養して、五智岩屋に参り、岩戸寺に至って、二日目の行程を終える。
2010年4月15日更新・
NO.87(2010.3)
通り堂(京都府南丹市八木町室橋)。2010年3月10日撮影。『平家物語』に登場する僧文覚が開発を試みた吉富荘新荘の水路に架かる。『神護寺領丹波国吉富荘故地調査報告書』(南丹市教育委員会、2009年3月)は八木町史編さん事業歴史資料調査報告書第2集として刊行されたものであるが、荘園遺跡報告書として魅力的な内容を有している。写真はこの報告書で紹介されている文覚開発伝承の遺構である。報告書では2006年度の状況が示されているが、その後水路に大幅な改修が加えられ、この堂も建てかえられている。柱に次のような文面を有する木札が打ち付けられている。「此堂ハ治承元年(1177年)5月文覚上人新庄堰水開創サレシ際、見水之記念建築物ニシテ」。報告書にはさらに詳しい記載があり、かつてはここに「泥かけ地蔵」が安置されていたという。新庄用水の歴史を語る貴重な遺跡である。
2010年3月15日更新・
NO.86(2010.2)
 お礼肥。2010年1月17日撮影。都立小峰公園で行われている自然体験教室「谷戸田の稲作」の第10回(最終回)。小峰公園はあきる野市の旧五日市町にある。かつての八王子往還道である尾根上の道を保存し、桜の名所ともなっている。深い谷戸には広場や田んぼや池があって、整備工事が施され、谷戸田の水田面も大規模に客土が為されているという。周囲の自然環境がすばらしく、中核施設のビジターセンターが企画する「谷戸田の稲作」には、区部から参加している親子もいる。昨年4月19日の〈籾まき〉から始まり、〈田おこし・代かき〉、〈苗取り・田植え〉、〈草取り・草刈〉、〈案山子作り・はざ作り〉、〈稲刈り・わら打ち・はざ掛け〉、〈脱穀・選米〉、〈籾すり、薪割り〉、〈飯盒炊爨〉を行って、この日の〈お礼肥・落ち葉かき・燻製作りと花炭作り〉を迎える。生き物観察も行う内容豊かな里山・谷戸田の体験教室である。
2010年2月15日更新・
NO.85(2010.1)
町田市下小山田町梅木窪の谷戸田。2010年1月5日撮影。東京都にもまだこんな風景がある。おとうさんやおじいさんの農作業を手伝う子供たち。田おこしの開始。耕耘機を田んぼに降ろすため、下敷きの金属板を運んでいるところ。この地には、都立小山田緑地があり、東京都が里山保全を目指して緑地を広げている。ゴルフ場がいくつもの丘の上を占めており、都立小山田緑地はその間にある梅木窪の保全を図っている。水源や湿地が保全され、民間の水田も耕作が続けられている。1270uの水田が都有地として確保され、「田んぼ友の会」が組織されて、2009年度もモチ米約300sの収穫を得た。


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