2012年度TOP画像


2012年12月15日更新・
NO.119(2012.11.15)
 軽井沢セミナーハウス5号棟。2012年8月31日撮影。遠景に新棟の建築現場が写っている。セミナーハウスの初期の棟が全面的に建て替えられることになった。浅間山が噴火した場合にはシェルターの役割を果たすことができるようコンクリート製の屋根と異様に太い鉄骨を持ち、物見櫓風の二階窓が付いている。後の建物はこれほど厳重ではないので、小噴火はあるものの次第に収まりつつあるということなのであろうか。初めてこの建物のお世話になったのは学部生の時であったから既に40年以上経過しているが、追分の駅から緩い上り坂を歩いて行ったことを今でも鮮明に覚えている。軽井沢町の努力によって自然と景観はよく維持されていて40年前と同じ佇まいが感じられる。                    

2012年11月15日更新・
NO.118(2012.10.15)
 新見市正田(しょうでん)にあるたたら工房の和鋼生産実験。2012年10月13日撮影。備中国新見荘は鎌倉時代に鉄年貢が収取されていたことで著名である。この由緒により新見市内にたたら工房があり、一年に一回復元実験が行われる。1999年に開始され、藤井勲氏をはじめとする民間団体と教育委員会の努力により現在まで継続されている。工房の外では、愛媛大学教授の村上恭通氏が実験たたらを立て、またさらに新見市の有志が耐火煉瓦によるたたらを作り、合計三基が稼働する。直接現場で作業する人が100人以上集まり、誠に壮観である。玉鋼製造の保存技術者として知られる村下(むらげ)の木原明氏が全体の指揮を執り、午後五時に金屋子神に祈って、大量の木炭と砂鉄がたたらの中に入れられた。工房内では人力で送風され、翌日の午後まで徹夜で続く。古代吉備センターの上栫武氏の説明を聞きつつ観察し、ようやくノロ、ズク、ケラの区別がつくようになった。前近代の鉄生産を目の辺りにすることができる貴重な実験である。                  

2012年10月15日更新・
NO.117(2012.9.15)
 岡山県新見市油野の三室川ダム。2012年9月5日撮影。このダムの水面下に鎌倉時代から近代初頭に至るたたら遺跡として知られる大成山遺跡が眠っている。今夏、九州地方は豪雨に見舞われ、大きな災害となったが、本州では干ばつとなった。この三室川ダムも水位が下がったため、普段は見ることができない山稜の地肌が出現した。砂鉄を豊富に含む花崗岩質の土壌が、見渡す限りに展開しており、大成山遺跡が数百年間継続したことを裏付けるものとなっている。たたら製鉄を持続させるには、大量の砂鉄と用水と燃料が必要だが、この地はその条件に適合したところだったのである。                  

2012年9月15日更新・
NO.116(2012.8.15)
佐渡岩首談義所。2012年6月23日撮影。廃校となった小学校を活用している事例。岩首談義所事務局長の大石惣一郎氏のご尽力により棚田学会現地見学会を佐渡で開催することができた。この日その研究会を行う。講演は、佐渡市農林水産課長の渡辺竜五氏が「世界遺産から見た棚田の価値」、環境省首席自然保護官の長田啓氏が「トキと水田−放鳥トキの観察からわかったこと−」。海老澤もコメント「龍脊の棚田から学ぶ地域活性化」を話す。
 さて、2007年から5年間棚田学会副会長を務めさせていただいたが、大学の仕事がいそがしくなり、ちょうど任期満了となったので8月をもって退任させていただくこととなった。10周年記念事業から、本年度の大会シンポジウム「棚田と民俗〜人々のくらしと棚田〜」の企画まで、誠に充実した学会活動を進めることができた。ご協力をいただいた多くの方々に改めて御礼申し上げたい。                  

2012年8月15日更新・
NO.115(2012.7.15)
 龍脊梯田風景名勝区の七星追月の観景点(ビュー・ポイント)から。2012年6月15日撮影。広西チワン族自治区龍勝県大寨村にある4つの観景点の1つ。日本においても、棚田景観を眺める展望台(理系の研究者は「視点場」という)の整備は進んでいる。案内板を設置したり、ベンチを置いたりして、景観の価値を認識できるようにしているが、中国においては景観点に伝統文化を反映する名称を付し、棚田景観そのものにテーマ性を持たせる。「棚田の庭園化」が行われているのである。中国の棚田からは、日本やインドネシア・バリ島とは相違する伝統文化が見えてくる。                  

2012年7月15日更新・
NO.114(2012.6.20)
  桂林に近い広西チワン族自治区龍脊の棚田。2012年6月16日撮影。大寨村と平安村という二つの山間の村に梯田景区が設けられ、入場料80元を払って棚田景観を眺望する。大寨村はグリーンツーリズムに徹していて、ゲートから農家民泊まで1時間半以上急な斜面を全員が徒歩で登る。瑤族、壮族という二つの少数民族の人たちが荷物持ちなどをしてくれる。1994年にカメラマン李亜石氏が両村を取材。雑誌『中国撮影』に掲載される。両村に自動車道路が通じたのはこの後である。平安村は観光に傾斜していて多くのレストランがならぶが、村内に自動車を入れない点では大寨村と共通している。                  

2012年6月20日更新・
NO.113(2012.5.15)
 中峰明本の墓。浙江省臨安市西天目山にある。2012年3月20日撮影。中峰明本は元代の禅僧。1263年に生まれ、1323年に没した。この地域は、日本に伝わった臨済宗のルーツともいうべきところで、山稜に杉の大樹林があり、自然保護区となっている。そのような中に中峰の墓地がある。中峰は元代の高僧として知られているが、大寺院に定住せず、自然の中で修業することを好んだ。自然林のなかに「幻住庵」という食堂があり、イノシシとトリのスープで昼食を取ったが、この「幻住庵」は中峰の居所の名にちなんだものである。エコロジーと宗教史が交叉して面白い。                  

2012年5月15日更新・
NO.112(2012.4.15)
 北京市清華大学で開催された第3回東アジア人文学フォーラム。2012年3月16日撮影。2009年に韓国漢陽大学で「環境」をテーマに初めて開かれ、10年には台湾大学で第2回フォーラム「ジェンダー、ジェンダーと人文学」が開催された。南開大学・早稲田大学を含めて計5大学の人文学系の研究者が集まっている。今回のテーマは、Diaspora,migration and regionalization in East Asia。清華大学と両岸交流のある台湾の新竹清華大学が特別参加した。中国では「両岸」が流行語のように使われ、空港では「両岸カフェ」が営業している。なお、第4回東アジア人文学フォーラムは、本年12月8日・9日に早稲田大学で開催される。テーマは「危機と再生−グローバリズム・災害・伝統文化−」。                

2012年4月15日更新・
NO.111(2012.3.15)
 解体中の日向薬師本堂。2012年3月11日撮影。神奈川県伊勢原市にある重要文化財宝城坊(通称日向薬師)は平安時代の鉈彫りの本尊で知られる。鎌倉時代には北条政子の信仰が厚く、『吾妻鏡』に2回参詣した記録がある。平安時代から鎌倉時代にかけての丈六の薬師如来像、阿弥陀如来像が現存する。さらに南北朝期には足利基氏が信仰し、寄進の播一流が保存されている。本堂は桁行7間、梁間5間の巨大な建造物。今回全面的に解体修理されることとなった。複雑な小屋組の構造がよくわかる。               

2012年3月15日更新・
NO.110(2012.2.15)
 卒業論文の口述試験を終えて。2012年2月4日撮影。また、中世史がブームなのだろうか。私の記憶では本年の卒論指導学生数は多い方であった。テーマは崇徳院から鈴木道胤まで。中世後期がやや多いか。時代ジャンルの曖昧なものがほぼなくなった。日本史コースの演習と講義は各時代を全部学ばなければならないシステムになっているが、卒論では「専攻する時代を明確にするように」と指導している。この方が研究成果は大きい。時代を超えた研究も魅力的だが、卒論段階で成果を上げるのは難しい。本年は、鎌倉遺文データベースを積極的に使用している卒論が3件あり、演習授業が役だったことを実感した。               

2012年2月15日更新・
NO.109(2012.1.15)
 姨捨棚田の水源地。2007年9月16日撮影。棚田学会第17回の現地見学会。長野県姨捨棚田の水源である大池の集水溝を遡ったところにご神木の杉の木があり、弁財天が祀られている。大池の下には沢があり、長野自動車道とJR篠ノ井線を潜って田毎の月の棚田を灌漑する。中心に長楽寺があり、松尾芭蕉が「おもかげや 姥ひとりなく 月の友」と詠んだことで知られる。たくさんの句碑が立ち、まさに俳句のメッカ。日本の文芸で示された棚田景観があり、さらに古戦場川中島を望むことができる。棚田保全の原点である。               

2012年1月15日更新・
NO.108(2011.12.15)
 インドネシア・バリ州、ウダヤナ大学デンパサールキャンパスにて。2011年11月4日撮影。10月に『講座水稲文化研究X バリ島ゲルゲル王国とスバック・グデ・スウェチャプラ』を刊行。これは昨年11月にバリ島ウダヤナ大学の先生二人をお招きして行ったワークショップ「バリ島の農業と灌漑システムの歴史」をまとめたものある。写真は副学長のウィラワン教授に無事手渡すことができたところ。
 スバック・グデ・スウェチャプラはバリ島ゲルゲル王国の宮殿の名を冠した水利組織で、この王宮は1380年から1651年まで存在した。その後、北方のスマラプラ市街に移され、現在では隣接地にダサール寺院を残すのみとなっているが、このスバックの存在自体がバリ文化の伝統を良く受け継いでいる。             


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