2017年度TOP画像
2017年12月15日更新
NO.180(2017.12.15)
豊後大野市の緒方野中井路取水口。原尻の滝を頭首工とする用水路は下井路と上井路がある。このうち原尻の滝から取水する下井路の開削は古代におよび、平安時代末期には、緒方三郎惟能が下方の条里地割の水田へと通水した。これに対して上井路は、寛文元年(1661)に豊後の竹田藩が開削したものである。原尻の滝の上流部は厚い溶結凝灰岩に覆われており、写真手前のように緒方川右岸を灌漑する野中井路も竹田藩が長年にわたって手を加え、溶結凝灰岩の中を直線的に走っている(飯沼賢司『環境歴史学視点に立つ中世荘園研究』2005年、p.54、図13参照)。小さな滝となっているところが川の本流で、その向こうの葦のなかに上井路の取り入れ水路が走っている。この地点は原尻の滝から約1km上流になるが、一般的な川原の景観とは大きく相違する。
2017年11月15日更新
NO.179(2017.11.15)
江戸城富士見櫓、伏見櫓と皇居長和殿。現在は照葉樹林の中にある江戸城遺跡と皇居。三層の富士見櫓は本丸の南端にあり、明暦の大火で天守閣焼失後は、実質的に天守閣として機能した。伏見櫓は二重橋の背景となり、西の丸にある皇居の象徴的な建造物。近年、皇居一周のランニングが盛んだが、明治維新後150年の間に巨大な照葉樹の森となったことが多くの人を惹きつける理由であろう。同様に周遊のジョギングコースがあるニューヨークのセントラルパークは全体が落葉樹からなっており、樹相は全く相違する。
2017年10月15日更新
NO.178(2017.10.15)
最近、「和名抄郷と自然頭首工」という論文をまとめた。条里制地割を有するような和名抄郷には基幹的な井堰があり、それを三つのタイプに分類したものである。そのAタイプが写真の大分県豊後大野市に存在した緒方郷の原尻の滝である。巨大で強固な自然頭首工で、下井路と呼ばれる水路はこの原尻の滝を起点として緒方郷の条里地帯に豊富な用水を供給している。距離にして約1.1km下流には源平の内乱で壇ノ浦に平家を追い詰めた緒方三郎惟能の館跡がある。飯沼賢司氏の調査によれば、緒方惟能によって下井路と原尻の滝から約3km下流の条里制地割を有する水田が連結された。『平家物語』で伝説的に語られている緒方惟能のパワーはこの自然頭首工によって生まれたのである。
2017年9月15日更新
NO.177(2017.9.15)
2017年度の科研:既存荘園村落情報シンポジウム「カレントモデルとしての美濃国大井荘研究」。9月6日早稲田大学戸山キャンパス33号館第一会議室で開催。主催は早稲田大学の総合人文科学研究センター研究部門「トランスナショナル社会と日本文化」。報告は、@赤松秀亮:東大寺領美濃国大井荘の「勅施入」と「開発領主」、A遠藤基郎:東大寺大井荘の史料論−鎌倉期から室町中期まで−。コーヒーブレーク後、B稲葉伸道:大井莊研究の諸問題について、C海老澤衷:荘園から城下町へ−変貌し、継承される防災・流通・文化−。討論後、意見交換会を行った。
2017年8月15日更新
NO.176(2017.8.16)
郡上八幡の城下町にある両替商齋藤家の屋敷。今は「カフェさいとう」となっているが、中は江戸時代の大商家を彷彿とさせるもので、広い畳敷きにテーブルが用意されており、床の間には大福帳なども置かれ、帳場には当主が控えている。美術館も併設され、江戸時代に集められた文化財が見学できるようになっている。各町に張り巡らされた水路網を流れる水はとても澄んでいて、城下町全体が清潔で美しい。山の上には天守閣がそびえ、全体の保全と活用が見事である。
2017年8月15日更新
NO.175(2017.7.16)
早稲田まちづくりシンポジウム2017「地域の持続のかたちを考える−千年を生き続けた知恵を活かし、ふるさとの暮らしを未来につなげるために−」、2017年7月16日開催。井深ホールは何度か登壇しているのだが、今回が一番印象深いものとなった。というのも創造理工学部社会環境工学科の先生方が取り組んでいる「千年村プロジェクト」を肌で感じることができたからである。300人を超す理系の老若男女の研究者がムラのサスティナビリティーを目的として集まっている。このような状況が生まれようとは棚田学会が立ち上げられたころ(1999年)にも考えられなかったことである。当日いただいた質問が倭名抄郷と明治22年に成立した大字・小字との関係であった。共同研究の大きな潮目を実感した。
2017年7月16日更新
NO.174(2017.6.15)
大垣祭りの?(車偏に山)。2017年5月13日撮影。大垣城下町の10ヵ町(本町・中町・新町・魚屋町・竹島町・俵町・船町・伝馬町・岐阜町・宮町)が、13の?を引く。3つは藩主から下賜されたもので、そのほかに各町が贅を尽くした?を繰り出す。写真は本町の相生?で、謡曲「高砂」を主題としたからくり人形である。阿蘇神社の神主友成が瀬戸内海を航行する船に変身する。このほか、魚屋町の鯰?は如拙の描いた瓢鮎図をからくりにしたものである。また船町や伝馬町の?では少女の舞を披露する。2016年ユネスコ無形文化遺産に登録された。
2017年6月15日更新
NO.173(2017.5.15)
大国魂神社(東京都府中市)の例大祭。「暗闇祭」と呼ぶ。2017年5月5日撮影。武蔵国府中にある惣社で、まさに大国武蔵の中心に位置した神社である。中世には一般に「六所宮」と呼称されていた。この伝統がいまでも引き継がれ、一之宮から六之宮の神輿が激しく練りながら府中の町を行く。さらに本社と御霊宮が入り、計八基の神輿となる。写真は三之宮氷川神社(さいたま市鎮座)の神輿で、担ぎ手の烏帽子に数詞が入る。
2017年5月15日更新
NO.172(2017.4.15)
観音寺城(滋賀県近江八幡市)伝本丸跡付近の井戸。建武2年(1335)、『太平記』には箱根竹ノ下の戦いの後、足利尊氏を追って、北畠顕家らが上洛を目指すなか、佐々木氏頼が「観音寺ノ城郭」に立て籠もったと記されている。東山道の要衝であった。戦国期には佐々木氏によって石積みのスケールの大きな城へと変貌していった。この山上に立つと、織田信長の築いた安土城が一枝城であるかのように見える。城郭にとって水の手が重要であるが、この井戸は高い位置にあって美しい水を湛えている。これ一つをとっても素晴らしい山城である。
2017年4月15日更新
NO.171(2017.3.15)
重要文化的景観・遊子水荷浦(ゆすみずがうら・愛媛県宇和島市)の段畑。2017年2月21日撮影。眼の前には美しい宇和海が広がる。暖かい日だまりを利用して馬鈴薯が栽培されている。この地には「段畑を守ろう会」があり、4月には「だんだん祭」が行われ、会員に獲れたての馬鈴薯が振る舞われる。またこれを材料として焼酎「段酌・だんしゃく」が作られている。普通の芋焼酎と違ってコクはあるが、さっぱり味である。棚田景観とはひと味違う迫力があり、2007年7月に3番目の重要文化的景観に選定された。
2017年3月15日更新
NO.170(2017.2.15)
大垣市の重要有形民俗文化財、どんど橋からみた名和家の土蔵式水屋。2017年2月15日撮影。輪中生活館として保存されている。名和家は江戸時代以来の旧家で、屋敷地には母屋のほか住居式水屋一棟、土蔵式水屋一棟、納屋一棟などが残されている。住居式水屋が母屋と階段と渡り廊下(どんど橋)によって結ばれている。自噴式の井戸もある。母屋が明治9年、住居式水屋が明治15年、土蔵式水屋が明治29年に建築されており、日々の生活と防災が一体化した貴重な遺構である。
2017年2月15日更新
NO.169(2017.1.15)
ワシントンD.C.ユニオン駅にあるケントゥリオの彫像。2016年9月9日撮影。このユニオン駅は西洋古典をモチーフとした荘重な建築である。日本の東京駅は、皇居側からの眺望が見事だが、ワシントンの場合には内部が博物館を思わせる空間となっている。見上げるとローマの軍団の百人隊長が白頭鷲のシールドを手にこの駅を守っていることがわかる。「パクスロマーナからパクスアメリカーナへ」を象徴しており、アメリカ人の気概が伝わってくる。
2017年1月15日更新
NO.168(2016.12.15)
豊後高田市田染小崎の水田イルミネーション。重要文化的景観「田染莊小崎の農村景観」は,本年度2次選定が行われ、1次の約92ヘクタールから613.8ヘクタールへと拡大した。小崎の愛宕池や空木池が構成要素として含まれることとなり、近世の小崎村の全域が選定範囲となった。これを記念する意味もあって選定範囲の水田にイルミネーションが施されることとなったのである。以前から棚田地帯で畦に明かりを灯すところがあったが、小さな缶に油を入れて点火するものであった。今年は、技術の進歩からペットボトル状のものにLEDが入れられて太陽光発電が行われ、何ヶ月も日持ちするようになった。時間によって色の変化も楽しめる。水田の美しい曲線が浮かび上がって、都会のイルミネーションとは違った雰囲気がある。
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