S1月16日 高橋 傑

○担当文書
 『日本塩業大系』291〜300、補55・56
・塩297の「図書助」を塩業大系では村上氏としているが、確証はない。
・塩298は法印厳盛が弁法印御房に宛てたものであることを指摘。この文書は年行事に宛てたもので、弁法印=房瑜が年行事であった弘安8年(1285)のものであることが討論中に指摘された。
・塩300は加治木頼平下向に関わるもので、塩124の返信と推測。この文書は能済筆で、正応年間(1288〜93)のものであることが討論中に指摘された。

○注目文書
 寛正4年(1463)6月日 東寺雑掌申状案(塩295)

○論点
・永尊快照の活動と東寺領弓削島荘の終焉
 弓削島荘関連史料末期に見られる永尊快照に注目。村上治部進を所務代官とする活動に関わった永尊は、金蓮院杲慶の推挙によって御影堂聖となった人物で、しばしば伊予国に下向していたことを指摘。永尊は弓削島荘だけではく因島荘などでも活動をしているが、それらは金蓮院杲慶と河野予州家(さらに細川家)とのつながりを背景としたものと考えられ、河野予州家の政治的な浮沈によって大きく作用されたこと、寛正5年(1464)の管領の交替(細川勝元から畠山政長)によって杲慶・永尊の作り上げた人脈は機能しなくなり、東寺領弓削島荘も終焉を迎えることとなったとした。また村上治部進については三島村上氏のいずれかに当てはめることはできないが、「治部」という名乗りに注目すると、後の因島村上氏と何らかの関係を持つ一族ではないかとの推定をした。



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